「AN INSTALLATION 」
THE BEGINNING
Exhibition of Hybrid Generations参加作品
2011/3/16wed.-3/27sun.
@SAPPORO PARCO Shinkan5F
会場はファッションビルとして使われていた札幌パルコ新館5Fで、フロア全体を使用し、複数のデザイナーやアーティストが展示を行いました。札幌でも最も栄えている大通周辺に位置するこのビルの所有権が移るわずかな間に展示会場として利用する実験的な試みとなりました。そして都市の自然、新陳代謝のようなアイデアが生まれました。服を展示する什器をショーケースのように使用した二つのブースと対面する壁面を展示空間として、壁面と備え付けのミラー、照明など、既存のものを利用しました。作品の素材の多くは廃棄物や、ユーズド、ディスカウントされた末端商品です。
この作品を制作するきっかけとして、以下のエピソードがあります。
”パルコで毎月廃棄されるハンガーは、4tトラック2台分ある。処理場に運ばれる間、一時的にビルの谷間に保管されており、カラスが頻繁に持ち去って巣作りに利用されている。”
このエピソードは、都市生活において、自然とは何なのかを考えるきっかけとなりました。
私達のイメージする自然は、人工と対比され、相容れないものとして捉えられています。しかし、よく考えてみると、両者は不可分なものであり、人間の活動を支えるインフラストラクチャーは有機的に変化し続けています。
そのような視点から考えると、私達が求める自然とは、時間をさかのぼり、再現することではなく、今ある人工物とその成り立ちを流動的に捉え直すことが必要だと考えるに至りました。
3つのパートからなるインスタレーションは、「人間、鳥、虫」で成り立っています。以下に詳細を記します。
インスタレーション「人間」
(電球、鏡、プロジェクター、ノートPCによるCG再生プログラム、ジェッソ、色鉛筆、アクリル絵の具)
私達は高度に発達した世界のありようを正しく捉えられているでしょうか?
この作品が表しているのは、都市部においてテクノロジーを従え、消費を繰り返す現代の人間の戸惑う姿です。鏡に映るデジタルCGで表現された風景は「画面」として一応の親和性を見せていますが、テレビゲームのスタート画面は都市部における自然の原風景のようであり、安易な自然の模倣です。フレームのように見える影は鏡に直接描かれた植物を通して、反射投影しているということが分かります。その虚像と溶け込むようにして茫漠とした人間の影があり、鑑賞者が通り過ぎて光が遮られると、初めて色鉛筆で描かれた絵画的なイリュージョンが浮かび上がります。それは刹那に人為的な虚飾がはぎ取られ、エゴがむき出しになった私達の姿です。
鳥
(廃材のハンガー、害鳥よけのオブジェ、プロジェクター、小型監視カメラ)
積み上げられ、組み上げられて吊られたりした廃材のハンガーは、消費の圧倒的なマスを表現しています、消費行為の残滓を見ると、「自然環境に対する影響は?」というふうに自然と人工の二項対立のように捉えがちですが、与える影響も含めて自然なのだという視点に立つ必要がある気がします。
ハンガーの薮の中には、ギラギラ光る害鳥よけのオブジェにがあります。壁面に密かに設置された小型監視カメラは鳥の視点を意味します。鑑賞者の視点は人間の主観だとすると、鳥を含めあらゆる生物が持つ視点に立って自然を捉えなければならないと考えます。そのような意味で、自然は法則性と偶発性をもっている豊かな存在として構成しました。
「昆虫」
(キャンバス、壁面に油性ペン、油彩)
壁面に配置されたキャンバスに描かれるモチーフは、機械部品やそれを加工するツールとハイブリッド化した昆虫や植物が描かれます。優れた環境適応能力を持っていて、コンクリートを突き破る植物の芽のように、キャンバスの枠をはみ出し、壁面を浸食していきます。
しかし彼らはそれを意図していません。自然の活動は人工物を浸食し、分解し時には破壊します。一見生態系に置いて下層の弱者と捉えがちですが、彼らはその繁殖数において世界を支配していると言えます。
自ら従えているはずの機械部品によって、実は私達が支配されているとも言えないでしょうか?
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